世の中には、大きく分けて2種類の人がいると思う。
① 目の前の出来事に、ただただ翻弄されっぱなしの人
② 目の前の出来事に対し、それはどういう意味や影響があるのか考えることができ、対処できる人
かつての私は①のタイプだった。
自分が何を考えているのかわからない。
自分は何を望んでいるのか「質問できる力」がない。
なので、いつまでも方向性がわからないから周りに流される。
その流された先の結果に対し、自分で責任感が持てない。
全ては環境や他人のせい。
そうやって、いつまでも被害者面した人がごまんといる。
◇
かつての私は、朝起きたら自分が嫌いな胸糞悪い人たちのことで頭がいっぱいになっていた。
おそらく潜在意識にまで、ネガティブが蔓延していたのだろう。
自分がまさにそんな人間だったから、その辛さは手に取るようにわかる。
だからそういう人たちに対し、その領域を離脱できるようなキッカケを与える仕事はできないものだろうか・・と本気で考え、心理学やら何やら学んだ時期もあった。
が、もうやめた。
完全に、面倒くさくなった。
私のこれからは、楽しさを体現する人生に徹してやる。
冷たいようだが、苦しんでいる輩はいつまでも苦しめばいい。
他人に救いを求めているうちは、根本的な解決なんて絶対にできはしない。
本人の意識が変わらない限りは。
結局口ばかりで、そこから変えていこうとしない人は割合として多い。
半ば自分で望んで、その立ち位置にいる。
私には、そこに向き合う忍耐力はない。
◇
つまりは一度海に潜ったが最後、
そんな人達にどうして差し上げようとか、他人の目なんて、どうでもよくなってしまったのだ。
元日本天邪鬼協会会長くらいにねじれ曲がっていた私にとって、「他人の幸せ」はジワジワとカラダを侵していく神経毒のようなものだった。
そんなヤサグレ女が、人生一発逆転。
それを発信する側に転じてやろう。
そう思えたのは、間違いなく海のチカラだ。
海の強力な浄化作用なのか、何のカルマ解消が起きたのか(笑)
◇
私にとって人生の楽しさを体現するというのが、まさにダイビングであり、旅行であり、相方ケンジの存在だった。
そして気がついたら、それだけじゃなく、家庭も仕事も周りにいてくれる友人達も、自分の生活全ての要素が総動員となり楽しさの体現となってくる。
そうなると自分の行動も生活も、極めてシンプルになる。「生きやすい」のだ。
そんな転機を手に入れた自分の強運と、そう感じ取れる感性があることに感謝をしよう。
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