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先日の、【驚愕】ダイバーならではの誕生日プレゼントをいただいた。の記事の後、相方ケンジがこのリンク記事を送ってきた。
このリンクに、オーストラリアのでハネムーン中に実際に起きたスキューバダイビング殺人事件が掲載されているのだが、その時の実際の写真が見れば見るほど空恐ろしい。
猛スピードで救助に向かうダイバーと対照的に、呆然と残圧計とオクトを手にしている男性。
これは海底に沈んでいる女性の夫なのだろうか。
目の前で人が沈んでいるのに、何故自分の残圧?
そのオクトは、何に使うもの?
この一枚の写真で、全てが物語られているようだ。
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結局この事件は、証拠不十分で無罪という結末になっているので殺意云々については触れないが、この夫がレスキュー・ダイバーの資格を持っていたはずなのに、もがき苦しむバディ(妻)に適切な処置をせず放置し、他人に助けを求めにいった責任を追及されているという点が非常に気になる。
レスキュー・ダイバーという資格は、さほど経験を重ねていないダイバーでも数日程度で取得できてしまう。
だがそれに付随してくる役割や責任が、資格取得の気軽さと全く比例しないと感じた。
自分が一時期資格コレクターだった過去があり、あれもこれもと手を出したことがあった。
だがダイビングの資格に関しては、全くその気にならない。
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このブログでよく出てくる、「スーパー教え上手」インストラクターのなかけんさん語録のひとつ。
「レスキュー・ダイバーは、さっさと自分だけ準備が終わってしまってはダメなんですよ。
他の人が、早くしなきゃって焦っちゃうでしょ?」
これにえらく感動した私であった。
なんと素晴らしいホスピタリティ。
私は「落ち着けー。落ち着け!」といつだって自分をなだめるのが必死なダメダイバーだから、人より1秒でも早く準備が終わってさっさと自分の殻に閉じこもっていたかった。
そんな私に「大丈夫、ありおなさん。ゆっくりで大丈夫だよ。」といつも声をかけていただき、私は唇の端をわずかに上げるので精いっぱいだったのだが、実際その一言でかなり救われていたことが今ならわかる。
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私はいつも、「海の中で皆の足をひっぱらないように!余計な手間暇かけないように!」と鼻息を荒く挑んでいたが、実は陸の上からだいぶレスキュー・ダイバーのお世話になっていたようだ。
レスキュー・ダイバーは、海の中での救急救命や処置というスキルの他に、それを未然に防ぐ為のチェック、メンタルや雰囲気づくりというのも重要な任務であることを、実際にレスキュー・ダイバー・コースを学んだ相方ケンジから聞いたのだが、目からウロコだった。
万が一今後、自分のスキルに自信がでてくることがあったとしたら、社会貢献とか世界を愛で包むという位大きな志でレスキュー・ダイバーの取得を目指してみてもいいかもしれないな、と思った。
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